暴走機関車SP号

思いつくままにいろいろ書くよ!

【日記】【感想】“曽我の仇討ち”の新解釈に脱帽!〜鎌倉殿の13人〜

最近大河ドラマにハマってるよ〜
第24回は“曽我の仇討ち”でしたね!

率直な感想
いやーおもろ!!

“曽我の仇討ち”は曽我兄弟が、祖父伊東祐親の仇である工藤祐経を討ち取ったことです。『曽我物語』に書かれているらしい。“物語”とつくだけあって、その話はかなり盛られている部分があるでしょうね。物語は歴史書と違って、ドラマ性が求められますからねえ。“曽我兄弟の仇討ち”も、美しき親子愛による壮絶な仇討ち、ということで美談になってますね。

三谷幸喜はそれを利用したのですよ

“曽我の仇討ち”は、“仇討ち”ではなく“謀叛”だったのである! としたのです!
時は貴族から武士の時代の移り目。着々と力をつける鎌倉幕府だったが、不満の声は当然あった。曽我兄弟もその声の一人で、頼朝の暗殺を企てる。しかし、計画は黙秘に進めなければならないし、頼朝暗殺に協力してくれる者は少ないだろう……。そこで、“謀叛”を“仇討ち”に装うことにしたのだ。つまり、“頼朝暗殺”が本来の目的で“工藤祐経殺害”は口実だということだ。曽我兄弟は烏帽子親の北条時政に、“仇討ち”をしたいから協力してほしいと言う。当時の価値観的に、仇討ちは美談だ。時政は当然オーケーを出す。
しかし北条義時は頼朝暗殺の企てを知る。もしも暗殺が失敗すれば、北条は加担者として裁かれてしまう……。
巻狩りの夜、曽我兄弟は頼朝の寝室に忍びよりそれを討った! 鎌倉はひっくり返るぞ!
……と、思われたが実はそれは頼朝の影武者を演じていた工藤祐経だったのだ! 頼朝は偶然にも生きていたのであった。
義時は頼朝にこう言う。
「これは“仇討ち”を装った“謀叛”なのではなく、“謀叛”を装った“仇討ち”でございます」
つまり、北条は仇討ちに協力しただけで謀叛を起こしたわけではない。鎌倉殿に盾突く気などございません。と、難を逃れたのですねえ。
これを聞いた曽我は愕然とする。
「違う! 俺がやったのは“仇討ち”ではなく――」
謀叛だ! と続いたでしょうね。もちろん斬首です。
曽我は謀叛に失敗したのに、仇討ちということにされてしまい、後世美談として語り継がれることになってしまったのだ!
歴史はときに事実と異なる。
三谷幸喜は、曽我の仇討ちの新しい解釈を語りながら歴史改竄の瞬間を描いたんですね。お見事すぎるっ!

この見方が歴史的に妥当な解釈かどうかは、筆者にはわからない。
しかし、ドラマとして、もしくは教訓として、とてもおもしろいと思う。
私は感動しました! 歴史って、その時代の強者が語り手になるから、事実とは異なることがある。歪んだ真実の本当の姿を、我々は想像することしかできない。
この“曽我の仇討ち”も、数ある本当の姿の一つなんでしょう。いやー、おもしろかった!


ところで、な話〜
ブログを乱立しては閉鎖し、を繰り返してたんだけど、結局このブログに統一することにしたよ! もうジャンルとか気にするとキリない…… 
今のところ連続投稿日数は4日なので、一週間もたせたいところですねえ……