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【超絶ネタバレ感想】五十嵐貴久『愛してるって言えなくたって』~育ち切らなかった信頼と不確定な愛の形~

はーい、この本読みました!

「愛してるって言えなくたって」五十嵐貴久 表紙

いかにも、な表紙ですねえ。

何故こんな“いかにも”な本を手に取ったのかと言えば、――まあ理由なんて探そうと思えばいくらでもあるんですけど、あえて一つ上げるとすれば、「二次創作以外のBL読んでみたいなー」と思ったことでしょうかねえ。
ブロマンス自体は、いろんな物語にけっこう散らばってたりするんですよ。たとえばモンテ・クリスト伯のフランツ。私はこのアニメ版の『巌窟王』しか観たことがないんですが、主人公の親友フランツは広義のBLに入ると思います。

 

ある日、主人公アルベールはモンテクリスト伯に決闘を申し込むのですが、フランツはアルベールに成り代わって決闘に向かいます。もちろん、アルベールには無断です。そしてその決闘で命を落としてしまうんですね。


このエピソードから言えること――それは無償の愛です。

フランツは、見返りは求めていなかったんです。ただ、アルベールに傷ついてほしくなかった。

そんな純然たる“友情”がフランツに無償の“愛”とも言える死をもたらしたと言えます。
「親友を守りたい、仮に命を落としてでも……」ってこの重さ、これをと呼ばず何と呼びましょう。

友愛を越えた愛は、ボーイズラブというチープな響きでは表現仕切れてないような気がします。というか同性への愛は、異性への愛と違って肉欲が入りませんから、よりプラトニックなラブなんですよね。
このフランツの愛は、私が人生で初めて出会ったBLなんですよね。そして初めて感動したBLなんです。同性間の愛は肉欲が混ざらないからよりプラトニックで美しい……それが私の考えでした。

 

とまあここまでそれっぽいことを申し上げましたが、肉欲が混ざった同性間の愛もあるわけでして、それはそれでまたおいしい…です! 逆に異性間のプラトニックラブもありますしね。ジットの『狭き門』とかそうですよね。
肉欲が混ざった同性間のラブ……その土壌が二次創作ですよ。二次創作って、すでにベースとなるキャラクターがいて、それらを書き手が自分好みに味付けをして作り上げるんですよ。だから、書き手次第でいろんなテイストがあるんですね。ハッピーエンド、メリーバッドエンド、光の腐女子、闇の腐女子……なんて言葉が登場するくらいに、たくさんの解釈があります。
それが、面白いんですよね。同じキャラクターを見ているのにこんなに違う展開があるのか、もしくは、違うキャラクターなのにこの前見たやつと似てる……とか。書き手の数だけいろんな解釈があってめちゃくちゃ楽しいんですよ! まあもちろんそれだけが二次創作読む理由ではないですけどね(笑)

で、そんな二次創作の中にはR-18っていう括りがあるわけですね! ほんと二次創作最近読むのハマってます(笑) なんか二次創作漁ってるときじゃないと得られない快感があるんですよね……。


はい、てなわけでこの本を手に取ったわけです!

しかし、ここまでじゃただ手に取っただけなんですよ。何故購入に至ったか、ですね?その理由が、物語冒頭のこれ

 

ずっとそこにあったにもかかわらず、ある日突然その本が光って見える時がある。背表紙のタイトルが、目に飛び込んでくることがある。
それはサインだ。今がこの本を読むべきタイミングですよ、と教えてくれるサイン。
そんな時は、迷わずその本を手に取ってレジに向かう。そうやって買った本に外れはなく、確実に、絶対に面白い。


これを見てね、「よし買おう!」て思って買いました。

だって、さっき述べたみたいな記憶の積み重ねで、ふとこの本の表紙に目が行ったんですよ。そして、なんとなくパラパラページをめくった。
まさに“サイン”じゃん……と思って買いますよそりゃ!

 

↓結果↓

正直面白くなかったです(笑)

要は、主人公門倉が12歳年下の新入社員(同性)の加瀬に恋して、結局気持ちを告げないまま終わり。というあらすじに、退屈なセールスマンの話をふんだんに盛り込み、恋した理由は不明瞭なまま、ただただ門倉が高校生みたいな公私混同を会社で行うという、正直読んでて苦痛な話でした。

 

まあしかし、物語はさておき、この物語が誕生した経緯は触れておく価値があると感じましたね。

本書『愛してるって言えなくたって』の主人公、門倉を私(筆者)は友情と恋愛の境界線がわからなくなった者として描いた。
もはやほとんど死語に近いピーターパンシンドロームのラストジェネレーションの象徴という位置付けだが、ピーターパンシンドロームという言葉がほとんど使われなくなったのは、社会そのものがピーターパン化したためで、従って門倉はあなたのドッペルゲンガーでもある。(あとがきより引用)

ピーターパンシンドロームとは、ピーターパン症候群のこと、つまり、身体は大人なのに精神的に子どもである男性のことを指します。
主人公の門倉は、恋愛をしたことがないんです。妻も子どももいるけど、恋はしたことがない。彼女がいたこともあるけど、恋をしたことはない。振られる理由はいつも、向こうがいつの間にか恋人を作っていた。だった。
ここで鍵となるのが、友愛家族愛、そして恋愛です。
作中で門倉は、妻に向ける感情は家族愛であり恋とは少し違うが、加瀬へ向けるのは特別な感情でそれは愛(恋愛)だ。と言っている。
でも、実はこれは「恋愛を知らないまま大人になった」門倉の勘違いに過ぎない、と私は解釈しましたよ。結局、加瀬への感情は友愛の延長線上にあるんです。

門倉は、偶然同じ本を取るような人間に、おそらく生まれはじめて出会い、そんな感性の会う人間と友達になりたいと心から思ったんですよ。もしも高校時代同じクラスだったら間違いなく親友だっただろうな、って相手に、30代になって初めて出会ったんですね。でも、その大きな友愛を持て余してしまって、恋と紛らわしくなってしまったんでしょう。その結果が、『愛してるって言えなくたって』です。
作中で門倉は、最初の彼女を好いていた理由は、キスみたいな、恋人同士が行うものへの好奇心が由来だった。でも加瀬は違う。って言ってるんですよ。
でもねえ、これわたし的には同じだと考えましたね。門倉は加瀬へ肉欲の感情も抱きますが、結局それだって好奇心だと思うんですよね。あとはほんのり罪悪感。そんな未知の感情にワクワクしてるだけじゃないでしょうかね。
門倉は加瀬への気持ちを“はつ恋”と称してますが、その実は最初の“はつ恋”と何ら違いは無いんです。
ただ違いがあると言えば、「何も言えずに終わった」というところでしょうかね。ある意味その歯がゆさと切なさは、履き違えた友愛“初恋”へと昇華させるには十分なのかもしれませんね。

 

さて、この本を改めて評価します!
内容は超絶つまらないけど、あらすじは面白いってヤツですね!

私はあらすじ面白い本好きですよ。でも人に進める気は起きないですねえ。
それでも、気になった人はぜひ手に取って読んでみてください!

 

あと最後に、我々もまた門倉であるかもしれないってことだけ言及します。
自分のことになっちゃうんですけど、私もピーターパンなんですよね〜。恋愛したことないまま結局成人しそうですし、私が好んでるBLって「友愛の延長線上にある何か」みたいなのなんですよ。フランツの話がそうですけど! あとみなさんあんさんぶるスターズのメインストーリー第二部のサンクチュアリ読んでください

だからねえ、門倉は他人事ではないなと思いました。まあ、別に良いと思うんですけどね。
何でこういう人間が出来上がってしまうのか? まあ適当なアンサーを用意するとすれば、愛着障害ってやつですかね?
養育者との愛情関係に失敗したため自己肯定感に問題を持ってしまった人のこと指すんですけど、多分今の社会にはこの愛着障害の人たくさんいると思いますよ。
まず、養育者って言うと父と母が浮かぶと思うんですけど、それがそもそも問題ですね。共同体の喪失ってよく言うじゃないですか。そう、本来養育者は親だけではないんです。祖父母、近所のおじさんに隣の家のお姉さん、行きつけの八百屋の女将さん。いろんな人間との出会いが、人格を磨いていくはずなんですね。
作品の台詞を引用します

信頼とは、すなわち愛だ。(加瀬と)信頼し合う関係になりたかった。それこそが、真の愛だろう。

祖父は優しいけど祖母は優しくないな、とか、隣のお姉さんは遊んでくれるけど同級生のお友達といる時の方が楽しそうだな、とか、女将さんは話してて楽しいけど楽しいだけだな、とか、ね。そうやって他者との信頼関係を比較するだけの機会が減っているんじゃないんですかねえ? 今の時代はね。上手く伝わってるか自信ないですけど。
また自分の事になっちゃうんだけど、私は少なくともそうですね。親が社会から孤立していたので、家族というコミュニティの他に信頼関係を比較する対象がありませんでした。学生時代のクラスメイトも、結局心を開けてなかったんだろうなと今さらながら思います。まあ、心を開きすぎるのもよくないですけどね? 持ちつ持たれつ…。
あじゃあどうしたらいいのか、それを決めるのは我々自身ですけどね。私だったら、旅先に出会いを求める、になるんでしょうね。
あ〜!世界中に飛んで行きたいな〜!